『俺を伝説と呼ぶな、マイルス・デイビスと呼べ』。
1926年5月26日、イリノイ州でイーストセントルイスで歯医者の長男(姉と弟の3人兄弟)として生まれたマイルス・デイビス。中流階級の裕福な家庭でしたが、この辺りは人種差別も激しかったそうです。ビリー・エクスタイン楽団がイーストセントルイスにやって来て、マイルスはリハーサルを見に行きました。ディジー・ガレスピーがマイルスのところにやってきて、病気で休んだトランペッターの代役が要ると声をかけられ、2週間バンドと演奏を共にし、これがマイルスの人生を変えました。
その後、父親に学費を出してもらってニューヨーク、ジュリアード音楽院へ。表向きはクラシック音楽の勉強、実際は42丁目や52丁目に出かけてチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらを探しまわっていたそうです。「彼らから多くのことを学んだ。俺の音楽の方向性はここで決まった」と、マイルスは語っています。その後の歴史は、コチラに並んだマイルスの音楽でどうぞ!
新しい音楽との出会いを!
1. Jeru
「Birth Of The Cool」、邦題「クールの誕生」より。当時未だ35歳だったアレンジャー、ギル・エヴァンスとのコラボレーション作品。9人編成のバンドを率いる若きリーダーとして、誰もがギル・エヴァンスを頼りました。それまで全盛だったビバップに対抗したサウンド、ここでマイルスの方向性も確立されたように思えます。1949年1月21日録音。
2. Dear Old Stockholm
3. Enigma
ブルーノート・レコードに残した2枚のアルバム「Miles Davis Volume One」、「Miles Davis Volume Two」より。1952年〜1954年に録音されたセッション。
4. That's The Stuff You Gotta Watch
マイルス・デイビス初録音とされる1945年4月24日のセッションより。ミュート・トランペットを吹いていますが、ソロなど任されずアンサンブルの演奏のみとなっています。
5. Baby, Won't You Make Up Your Mind
デビューと同じ1946年10月18日のセッションより。名義はMiles Davis Sextet plus Earl Coleman (vocal) and Ann Hathaway (vocal)となっています。ドラムはアート・ブレイキー、ピアノはジーン・アモンズです。
6. Now's the Time
ジャズ・ファンなら言わずと知れた、天才チャーリー・パーカーとの演奏です。1945年11月26日のセッションより。トランペットはディジー・ガレスピー、ドラムはマックス・ローチです。
7. Rifftide
アルバム「Miles Davis Tadd Dameron Quintet in Paris May 1949」より。名実ともにスターとして、タッド・ダメロンとともに初めてヨーロッパにツアーに赴いた1949年5月8日の録音。人種の壁を超えて熱烈に歓迎され、初めて自由と尊厳を実感できたのでした。歌手のジュリエット・グレコと恋に落ちたのもこの時です。
8. Ain't Misbehavin'
アルバム「Sarah Vaughan In Hi-Fi」より。サラ・ヴォーンのバック・ミュージシャンとしての演奏です。マイルスのトランペットは、実はいろいろなヴォーカリストに愛されたのでした。
9. Tasty Pudding
アルバム「Miles Davis And Horns」より。1953年2月19日録音。
10. I Know
ソニー・ロリンズのプレスティッジ・レコードからの初リーダー作「Sonny Rollins With The Modern Jazz Quartet」より。1951年1月17日録音。
11. It's Only A Paper Moon
プレスティッジ・レコードのプロデューサー、ボブ・ワインストックがチャーリー・パーカーとのダイヤル・セッションでマイルスに目をつけ契約にこぎつけた。1951年にリリースされたプレティッジ最初のアルバム「Dig」より。1951年10月5日録音。
12. What's New
ジミー・フォレストとのセントルイスにおけるライヴ録音。1952年録音。
13. The Serpent's Tooth
アルバム「Collector's Items」より。ソニー・ロリンズ(ts)、チャーリー・パーカー(as)、ウォルター・ビショップJr.(p)、パーシー・ヒース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)と言う鉄壁の布陣。1953年1月30日録音。
14. I'll Remember April
アルバム「Blue Haze」より。ケニー・クラークのドラムって切れが良くてカッコいいですね。ホレス・シルバーのピアノ・ソロも最高。1954年4月3日録音。
15. Walkin’
アルバム「Walkin'」より。プロデューサー、ボブ・ワインストックが私の中ではこのアルバムが最高だと絶賛。1954年4月29日録音。まさにちょうど60年前の録音!
16. Oleo
アルバム「Bags' Groove」より。1954年6月29日録音。ジャケットがカッコいい!
17. Bemsha Swing
アルバム「Miles Davis and the Modern Jazz Giants」より。ヴィブラフォン奏者のミルト・ジャクソン、ピアノにはセロニアス・モンクを迎えての録音。1954年12月24日のこの録音は俗に『喧嘩セッション』などとも呼ばれています。マイルスがモンクに、自分のソロのバックでピアノを弾くなと言ったらしく。この曲では普通に弾いていますが、次の曲から険悪になったらしい.... (^_^;)
アルバム「The Musings Of Miles」より。1955年6月7日録音。ピアノはレッド・ガーランド、ドラムはフィリー・ジョー・ジョーンズと、徐々に名作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のメンバーになりつつあります。
アルバム「Workin'」より。米COLUMBIAへの移籍が決まったマイルスは、プレスティッジとの契約を果たすため、残った4枚のアルバムを1956年5月11日と10月26日の2日間で録音、俗に『マラソン・セッション』とも呼ばれています。メンバーも米COLUMBIA第一作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」と同じメンバー。この曲は5月11日録音。ちなみに、米COLUMBIA移籍第一作目のアルバムに収録された名曲<ラウンド・ミッドナイト>はこの2つのセッションの間の9月10日録音です。
アルバム「Steamin'」より、上記と同じ5月11日録音。
21. If I Were a Bell
アルバム「Relaxin'」より、こちらは10月26日録音。この半年でずいぶんサウンドが変わった感じがしますね。
22. My Funny Valentine
アルバム「Cookin'」より、これも10月26日録音。ミュートを使ったリリシズム溢れるマイルス節炸裂の名演です。
23. Générique
そしてマイルスは映画音楽も手がけました。アルバム「Ascenseur Pour L'échafaud」、邦題「死刑台のエレベーター」より。1957年12月パリでの録音。マイルス・デイビスが映像を見ながら即興で音楽を付けたものです。そしてこの時のセッションを熱心に見ていたピアノのRené Urtregerの姉、ジャンヌと恋におちるのでした(笑)。
24. Round Midnight
こちらはフランスの作曲家、ミシェル・ルグランのアルバム「Legrand Jazz」にマイルスが参加したもの。ジョン・コルトレーン(ts)、ビル・エヴァンス(p)、ポール・チェンバース(b)らも参加しています。1958年6月25日録音。
25. Autumn Leaves
キャノンボール・アダレイのアルバム「Somethin' Else」より。実質はマイルス・デイビスのアルバムとも言われている、ブルーノート・レコード屈指のモダン・ジャズを代表する名盤。1958年3月9日録音。